要らない
何もかも捨ててしまおう
好きに理由がいるかよ

突然ですが、あなたは何故アウトドアが好きか説明できますか?
ミニマルキャンパーとして活動している私ですが、
実は、今まで何故アウトドアが好きなのかは真剣に考えてきませんでした。
「好きに理由がいるかよ!」と正論を熱くぶつけられたら、ぐうの音も出ませんが、
毎週のようにキャンプに出かける私に対して「何がそんなに楽しいの?」と好奇の目あるいは蔑んだ目で見てくる友人達に、納得させる回答を準備したい。
「そこに山があるからだ」ってカッコよく言える山岳家でもない私がどうやって
アウトドアの魅力を伝えられるか、ちょっと考えてみたので、少しお付き合い頂きたい。
わしも虫は嫌いじゃ
まず、アウトドア反対派の意見は大体こうだ。
- 虫が嫌い
- 汗かくし疲れる
- 日に焼ける
- ギアを揃えるのにお金がかかる
- 自然豊かな場所に行くには遠いし、時間がかかる
- 毎回行くのに準備が大変
- お風呂入れないし、トイレ汚いし、外で寝るとかありえない。
うん。全部わかる。というか全部正解だし、嫌いになる理由はこれ以外にも沢山ある。

一目惚れってやつなのかもね
好き嫌いという感情は直感的なものだ。あれこれ、メリット・デメリットを考えて好きになることはない。
メリットで考えれば、全人類はもっと運動するだろうし、ダイエットで悩む人間はいないだろう。
みんな直感的に嫌いなんだ。
僕も虫が嫌いだし汗かきたくないし日に焼けたくないが、でも、アウトドアが好きだ。
なぜ僕はアウトドアを好きかというと、たぶん、日に照らされた青々しい草花、朝を知らせる鳥のさえずり、キラキラ輝く水面、朝露に湿った澄んだ空気、今まで自分の中に眠っていた「世界は美しい」という感覚がゆっくりと目覚めるような、そんな感覚を覚えた経験が、直感的に好きになった理由だ。
その時は虫も汗も日焼けも忘れていた。ただ五感の全てを自然に奪われ、現実や日常と名づけられる繰り返しの毎日も忘れて、未来も想像せず、過去も振り返らず、今に生きることができていると実感できる唯一の瞬間だったのだ。
「今を生きる」という、もはやチープと化した謳い文句も、全身で浴びるほどに実感し理解した。
贅沢な囚人

私たちは監獄に入れられた囚人でもないのに家に篭り、世界の広さをパソコンやスマホの画面で擬似体験する。小綺麗な服に身を纏い、偉そうに人生観や成功体験を語ったり、人並みにお金や人間関係について悩んだり苦しんだり、知的な生物として社会に溶け込んでは入るが、所詮は自分を何者かと勘違いしているヒト科の動物なのだ。
我々は時々、自分が動物であり、地球に住んでいることを忘れてしまう。
だって、蛇口を捻ればお湯が出て、暑いシャワーを浴びて風呂上がりにビールを飲み、アイスクリームを食べられるし、スイッチ一つで灯りがつき、暗い夜に怖い思いをする必要はない。硬い壁があり風や雨も通さない。
家を出ずともありとあらゆる世界中の名作映画・音楽・漫画・アニメなどを見ることができ、ゲームをしたって良い。電気やガス・水道が切れる心配もほとんど要らない。
ありとあらゆる人や物が、ネットでポチるだけで届く時代なんだ、ただ便利な暮らしを享受すれば良い。
家にこもって居れば幸せなのだ。我々が幸せなのは間違いない。
不感症で傲慢な人様
でも、飢えに苦しみ、寒さに凍え、戦争の最中で貧しく暮らした先人達と比べたら、幸せでしかないのにイマイチ感じ切れていないというか、モヤっと不完全な感じがしているのは私だけでしょうか?。
本来であれば、届くだけでもありがたい配送の遅れに苛立ち、水道水がまずいだの、電気ガス代が高いだの、近所の子供達がうるさいだの、自分が王様になったかのように偉そうに文句を垂れ流す。
そんな人間に幸せになる権利なんてない。我々は多くを与えられすぎている。
ソラニン
大事なものは失ってから気づく。もう説明するまでもなく皆の常識として身についていることだ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」という名曲はご存知だろうか。
「たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする。きっと悪い種が芽を出してサヨナラなんだ。」という歌詞があり、幸せをジャガイモの毒性がある芽であるソラニンに例えて、別れを歌ったとてもエモい曲なのだが、まさにその歌詞どおりに、現代社会はゆるいどころか、便利な生活にだらけ切って芽がボーボー生えて毒まみれのジャガイモみたいではないだろうか。
贅沢病ってやつなのかもね

心理学の研究からも、便利で物質的に豊かな生活が幸福度に寄与しないことがわかっている。
「順応理論(ヘドニック・トレッドミル)」
📘 Brickman & Campbell (1971): Hedonic Relativism and Planning the Good Society
物が増えても人はすぐに慣れてしまい、幸福度は元に戻るという心理学の理論。例えば、テレビ・スマホ・AIなどの便利さに慣れると、「感動や感謝」よりも「もっと便利に」と望んでしまう。
「選択のパラドックス」
📘 Schwartz, B. (2004): The Paradox of Choice
商品やサービスが増えすぎると、選択肢の多さが逆にストレスを生み、幸福度を下げることが示されています。
現代の日本人は物質的に豊かな生活を送りながらも、幸福度は世界で47位(2024年)という残念な結果となっている。幸福度というのは地理的条件や国民性など様々な条件が複雑に関係しているため、原因の特定は容易にはできないが、モノの多さや便利さというのが一因になっているというのは、可能性が高いだろう。
一方で、こんな興味深い研究もある。
2019年12月に東北大学が全国46都道府県、22,539人を対象とした研究では、一人当たり社会福祉支出(SWE)と森林面積率(RFA)が主観的幸福感と正の相関関係にあることがわかった。首都圏の一部の県は幸福度ランキングの下位に位置し、SWEと森林面積率の低さと相関関係にある。
📘 Spatial analysis of subjective well-being in Japan / Tohoku University
森林面積が幸福度に関係しているという調査結果は、非常に興味深いものではないだろうか。それは、大自然を見て美しいと感じることが、幸福度に寄与しているのか、あるいは自然以外に娯楽もレジャーもないから幸福なのかはわからないが、どちらも多少なりとも寄与しているだろう。
幸福度ランキング世界1位のフィンランドは、国土の約75%が森林に覆われ、ヨーロッパで最も森林面積率が高い国として知られており、このことからも、幸福と自然の関係性が密接であることが言えよう。

結論
なんだかんだ難しいことを言ってきましたが、アウトドアが好きな理由として、わかりやすく直感的な表現をすると、「アウトドアから帰ってきた後に、家のふかふかのベットで寝るのは至高」ということだ。そのためにわざわざ外に出かけて行っていると言っても過言ではない。
我々は外に出なければ、自分が芽が生えて食べられなくなっている毒まみれのジャガイモ人間になっていることに気が付かないのだ。外へ出かけたところで、芽が取れてただのジャガイモに戻るだけだが、前よりも新鮮なジャガイモに生まれ変われる。
何かを理解するのには手放すのが手っ取り早い。社会に出て一人暮らしをして両親のありがたみを知るように、大自然の中に身を置き、普段の贅沢でゆるいだらっとした生活を一度手放して、我々は地球に生きているただの動物であること、そして今ここに確かにある幸せを再確認するのだ。
だって、幸せとは得るものではなく、感じるものなのだから。




